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歴史民族資料館 歴史コーナーではひさご塚を通して、古代彼杵の歴史を、文化コーナーでは「長崎街道」を案内し、坂本浮立・千綿人形浄瑠璃・龍踊りの出し物道具を展示しております。 |
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ひさご塚(県指定史跡) 約全長53m県下最大の前方後円墳です。
およそ1500年前築造されたもので、大村湾周辺の地方を治めていた首長の古墳と考えられています。 |
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二十六聖人乗船記念碑 慶長2年1月10日、二十六聖人が処刑の地へ、3隻の船で時津へ船出した地です。
大阪から長崎西坂までの850Kmを世に【長崎への道】と言われ各地に記念碑が建てられています。 |
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万部塔 町内には宝塔様と呼ばれる千部塔・万部塔の題目塔が、15基建立されています。二代目藩主大村純頼の時、郷中がキリシタンではないことの証明として建立されたものと考えられています。
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八坂神社(祇園社) 祇園祭は八坂神社のお祭りです。元禄7年ごろ建てられたものと思われます。鳥居は寛政12(1800)年に建てられました。 |
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元禄船着場跡
元禄年間に築港された彼杵港に石段で築かれた船の乗り降り場です。
長崎街道の往来がはげしかった、江戸から明治にかけては、長崎での貿易品や各地の産物、五島近海で捕れた鯨もこの港に荷揚げされ、九州各地に売りさばかれ、そのぎ宿もたいへん繁栄しました。オランダ商館医ケンペルもこの海路を利用しています。船賃 そのぎ〜時津は一人銀1文三分(約140文)
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思案橋
堀川の石橋(思案橋)からなる平戸街道(そのぎ〜平戸)となる。思案橋から嬉野へむかうのが長崎街道で、俵町通りと呼ばれていました。 |
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本陣跡 官営10年(1633)役人や大名の宿泊、または休憩所として建てられました。敷地は現在のそのぎ神社と一部そのぎ小学校に張り出した50Km四方でした。今も旧本陣と庄屋の境堀が残っています。 |
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庄屋跡
文化11年(1814)上村と下村が合併してできた彼杵庄屋の跡シーボルトが宿泊したのもここであった。
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浜宮さま(熊野十二社権現) 彼杵総鎮守として正保3年(1646)年に、熊野十二社権現の分霊を妙法寺が島田にお迎えして創建されました。元禄9年(1696年)、社は建てかえられました。 |
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安全寺(町指定文化財) 万治3年(1660年)大村純忠によって、真言宗多羅山宝円寺の末寺として再建されました。天正2年(1574年)のキリシタンの焼き討ちで焼亡し、宝暦元年(1751年)6月に現在地に移転しました。 |
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岡遺跡
総鎮守(地主)として彼杵山安全寺大御堂と幸天大明神があったものと考えられる遺跡です。青温石製で彫刻のある宝徳3年(1455)銘の石塔や大きな正平21年(1366)銘石塔などが土中から発見されました。人々の生活はおよそ1000年前から南北朝時代までおよそ400年続いていたものと思われます。また縄文時代中期(約5000年前)の石器も出土しました。 |
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彼杵駅
明治31年1月20日建てられた駅は、現在では新舎に建て替えられました。(2007年4月1日に落成式)
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白井川遺跡
「後漢鏡片」が発掘された遺跡です。2000年前中国で作られた白銅製の「方格規矩鏡」の扇形の破片です。弥生時代の後(1700〜1800年後期)耶馬台国の時代、具足王国、彼杵のクニの中心であり、大集落が営まれていたと考えられる遺跡です。 |
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上杉古墳群
古墳時代後期の群集墳で1400年ほど前に築かれた豪族の古墳と考えています。(直刀、金メッキした鍔、金環、銀環、鎧の破片のような物、勾玉、くつわなどが)出土しました。 |